ユサブルコラム

2011年03月05日 佐々木 知子 , 寄り道シネマ

レイチェル・カーソンの感性の森



2月26日より渋谷UPLINKにて「レイチェル・カーソンの感性の森」が上映されている。この映画は、科学者として執筆家として活動を続けたレイチェル・カーソンの遺作「センス・オブ・ワンダー」を映像化したものである。

私はレイチェル・カーソンという人を映像で見たことがない。
化学物質が環境に与える影響について告発した「沈黙の春」を出版した彼女への当時のバッシングも賞賛も、想像することしかできない。しかし科学に全く疎い私でさえ「沈黙の春」に登場する化学薬品の名前とその使用方法を見るだけで、どれほど社会が無知で業界は経済活動ばかりに夢中だったのか容易に想像ができる。考えられない単純さで環境を壊し続けている実態を様々な事例を拾い上げひも付けた告発本は、きっと大きな力で弾圧され、著者への誹謗中傷も相当なものだったのだろう。
美しい自然に迫る脅威を科学的に証明した「沈黙の春」は、科学の苦手な私のような者にも考える手がかりを与えてくれた素晴らしい作品である。

「センス・オブ・ワンダー」は、大人たちに向けた自然の物語。亡くなった姪の子であるロジャーとの生活で、自然とふれあった経験を元に描かれている。生物学を子育て中の親へ向けたメッセージへと見事に翻訳してみせている。
彼女は言う。テーマを熟知することで素材が語り始めると。ひたすら学び自然を愛し続けたことが、科学と自然の結びつきを美しい叙情的な表現へと導いたのだろう。彼女の科学は創るためではなく、自然界を見守るためのものではないだろうか。


さて、レイチェル・カーソンを描いたこの映画について、私にはひとつ困った疑問がある。それは、作品の中で語っている女性は一体誰なのだろうか? ということ。
この映画は、レイチェルの著書に惹かれて彼女を演じることを強く望んだ女優カイウラニ・リーの一人芝居が元となっている。「センス・オブ・ワンダー」に強い感銘を受けたカイウラニ・リーは、レイチェルを演じるために試行錯誤の末、自分で台本を書きあげ、舞台で18年もの間一人芝居を演じ続けて来たそうだ。

終末へ向かっていることを悟っているかのように、徐々に彼女は話の間合いを詰め、息つく暇も惜しむように勢いづいて話したかと思うと、急に考え込み誰かをなだめるように小さくうなずく。そして何か言い残したことを探しているかのような苦悩と懸念の入り交じった安堵のできない表情が、もの悲しげな余韻を画面に残していく。
最初のころはいたずらっぽい表情も見せながら語るレイチェルが、病の進行とともに徐々に肉体の衰えや不安を見せ始める、まるで自身が化学薬品を振りかけられてしまったかのように。

この作品のレイチェルの言葉は、ひょっとするとカイウラニ・リーの言葉なのかもしれないと、ふと思えるシーンに何度か出くわす。私がレイチェルの著書を読んで感じたレイチェル像とカイウラニの演じるレイチェルに違和感はない。しかしそれでもこの作品は、レイチェル・カーソンではなくカイウラニ・リー自身が語っているように私には思えるのだ。レイチェルを通してカイウラニを見ているような気にさえなってくる。

レイチェル・カーソンという人は、いつも命の話をしていたのだろうと思う。それが女優に命を吹き込んだ。レイチェルの自然を愛する心とカイウラニの感受性が融合して、この素晴らしい表情を演じる機会が生まれたのだろう。

レイチェル・カーソンが科学の知識で溢れるように執筆をしたのと同じように、カイウラニ・リーも必死にレイチェルを理解し感じることで素晴らしい演技力を発揮した。二人の女性の信念と長い努力で生まれた命の物語をじっくりと鑑賞して欲しい。



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監督:クリストファー・マンガー(『ウェールズの山』、『ガール・フロム・リオ』)
脚本、出演:カイウラニ・リー
プロデューサー:カレン・モンゴメリー、カイウラニ・リー
撮影:ハスケル・ウェクスラー
(2008 年/アメリカ/カラー/HD/16:9/英語/55 分)
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