壮大な社会見学。「おいしいコーヒーの真実」
家庭や仕事場、そして街なかで、コーヒーのある風景は日常に溢れている。日本は、アメリカ、ドイツに次ぐ世界第3のコーヒー輸入国であるという。そんなコーヒー大好き国民のうち、どれほどの人が、コーヒーがどうやって届けられるのかを知っているのだろう。
映画はエチオピアのオロミア州のコーヒー農協連合会代表のタデッセ・メスケラを軸にして、コーヒー産業の世界的な成り立ちを描いている。
タデッセは、より高品質なコーヒー豆を生産するように農民たちを鼓舞する一方、シアトルやロンドンなどの消費地を訪れ、公正な取引相手を求めていく。
エチオピアは世界でも有数なコーヒーの原産国であり、5人に1人がコーヒーに携わる主要産業だが、この国では年間700万人の人びとが、海外からの支援に頼った暮らしを強いられている。一方、石油に次ぐ国際的商品であるコーヒーは、大手4社が世界市場の大半を扱い、世界価格を左右するニューヨークやロンドンの商品取引所で何百億ドルという先物取引が行なわれ、生産とはなんらかかわりをもたない投機家によって低価格に抑えられる傾向にあった。
タデッセはそのアンバランス、不公平を是正し、コーヒー農家の正当な利益を得るために奔走しているのだ。
山々に霧がかかり一日のうちの寒暖差が大きい地域は、風味の高い果実や、濃い旨味のお茶が栽培できると聞いたことがあるが、映画で映し出されるエチオピアのコーヒー農園も、ちょうどそんな感じだ。
農民たちはジャングルのように下草が生い茂った畑で、簡素な道具で畑を管理している。コーヒー豆はそこを出発点にして、農協、競売所、加工工場、輸入業者、焙煎業者、そしてカフェやスーパーマーケットへと地球規模の旅をする。映画の観客は壮大な社会見学をしているようだ。そう、コーヒーの流通から、世界の社会構造が浮かび上がってくるのだ。
コーヒーの価格に占める生産農家の利益は、たった1〜3パーセントに過ぎないという(イギリス版 http://blackgoldmovie.com より)。日本の総務省の1998〜99年のデータには、タンザニアのコーヒーの価格のなかで、コーヒー農家の利益は0.4パーセント、タンザニア国内の流通業者・小売業者は0.5パーセントを得ているだけというものもある。
国際的なコーヒー価格の安定を図っていた国際コーヒー協会が1989年に崩壊後、先進国が発言力をもつWTO(世界貿易機関)のもとで、途上国はあえぐばかりだ。
先進国は極限的な安値で原材料を調達し、その一方で、産業が成り立たず貧困が増大する途上国へ、国際支援の名のもとに物資を送り込む……。何か、どこかが狂っていると思うのは私だけなのだろうか(映画では、アフリカの産品の国際商取引の価格が1パーセント上がれば、それだけで支援額の5倍に相当する利益が毎年生まれるとも解説している)。
緊密で複雑な地球規模の貿易システムは、コーヒー農家を縛りつける一方で、消費者として存在させられている私たちも、そのシステムのなかにある。片方が過剰な安値や便利さを求め続けるだけなら、別の世界では生命ラインぎりぎりの生存を迫られる。そんなシーソーのような関係は、もちろん下にはなりたくないが、上で止まっているのは、それはそれでひどく孤独で滑稽な姿じゃなかろうか。
巨大なシステムの歯車のひとつであるなら、歯車が全体の方向を変えていく可能性をもはらんでいるはずだ。それは無謀な妄想じゃないだろう。
つながっちゃっているのなら、うんといい関係でつながりたい。それって、コーヒーを心底おいしく愉しむためのツボなのでは。そんな風にも思えてくる。
また、遠いアフリカの地とコーヒーによってつながっていると考えれば、それはそれで幸せなことではないか。私たちはコーヒーを飲むたびにコーヒーがやってきた道筋を遡って、心の旅をすることもできるのだ。
つけ加えるならば、「おいしいコーヒーの真実」は、世界中のあらゆる産品の成り立ちをも想起させ、綿花の真実、小麦の真実、石油の真実、ダイヤモンドの真実……。そんなことが次々と脳裏に浮かぶ。私たちは望みさえすれば、また違った旅に出ることもできるだろう。
2006年イギリス、アメリカ
監督・プロデューサー/マーク・フランシス、ニック・フランシス
5月31日よりアップリンクXにてロードショー
上映時間など詳細は


